夏の作文その3『読書の思い出』

記事一覧はこちら

夏の作文週間はじめました - ALL FREE FALL

 

今回はまず,ぼくと読書全般の関係性について書き,そしてそこから現代社会への不安を書き散らします。後半だけ読んでもらった方がまとまってる気がする。

 

おもいでばなし

インターネットを見ていると,「親に読書週間がなければ子供が本を読むことはない」とか,「親の本棚で子供が育つ」とか,そういう言説をときどき見かけます。

ぼくは本を読みますが,ぼくの両親は本を読むタイプの人種ではありませんでした。よくよく考えてみると実家にもぼくの部屋以外は(専用の)本棚がありません。両親が本を読んでいるのは見たことがありませんから,ぼくも読書の習慣など身につかないはずでした。でも,そうならなかったのです。非常に運が良かったいくつかの流れがあるので説明させてください。

両親は漫画が好きで,幼稚園児のぼくを外食に連れ出してはその帰り道にあった書店やブックオフに連れて行ってくれました。幸運その1。

両親が行くのは漫画コーナーですから,ぼくも漫画を購入してもらいました。今でも覚えているのですが,最初の一冊は「スーパーマリオくん」の4巻でした(なぜこれだったのかというと,父親が夜な夜なスーパーマリオブラザーズ3に興じていたのをたまに見ていたぼくにとって最も身近な存在だったからだと思います)。

漫画というのは読めば読むほど次が,あるいは新しい作品が読みたくなるもので,両親もそれをわかっていたのでしょう,ぼくが欲しがった漫画は次々に購入してくれました。幸運その2。

買ってもらった2作品目は「ドラゴンボール」でした。確か通っていた幼稚園で流行していて,しかしぼくはそれを知らなかったので遊びに入れてもらえず母親に泣きついたところ一瞬で全巻揃ったという経緯だったと記憶しています。この作品のチョイスも絶妙で,子供ながらに名作というものはわかるのでしょう。夢中になって読み進めました。幸運その3。両親が暴力シーンに過剰反応するような性格でなかったことも幸いでした。幸運その4。

また,このころにテレビゲームに目覚め,ゲーム関係のコラムが大量に掲載されていた「Vジャンプ」を読み漁るようになりました。漫画と比べるとどうしても文字による説明の比率が高く長文に慣れたのと,やってもいないゲームに関する記事を読むため想像力が非常に鍛えられました。幸運その5。

そんなこんなで幼稚園を卒業し,小学校に入るとぼくは言いました。「小学生になったから小学一年生が読みたい」

実際にはこの「小学一年生」という雑誌は漫画雑誌として見ると子供だましの退屈な作品が多く,子供心に(面白くない……)と思いながらも自分から購読を願い出た手前,「つまらないからいらない」とは言えずにいました(なんだかんだで「小学二年生」の3月号まで2年間購読してしまったのですが)。そんな状態で唯一楽しかったのが巻末についていた保護者向けのページ。もちろんほとんど活字です。子育てのやり方などについても書いてあり,読みながら「なるほど今ぼくはこうやって育てられているのか」「ここのやり方はママやパパとは違うけれどどっちがいいんだろう,今度それとなく聞いてみよう」とか考えるようになっていました。幸運その6。

ところでぼくは幼稚園から小学校に上がるときに引っ越したのですが,引っ越すとほぼ同時に,通う小学校のすぐ近くに図書館ができました。幸運その7。ぼくは少なくとも低学年の間はその図書館に毎日のように通いました。友達がおらず,図書館ぐらいしか行くところがなかったので。幸運その8。

それだけでなく,その半年ぐらい後には最寄り駅だった荻窪に大型のブックオフができました。調べたところその店舗は元々は山一證券だったらしく,ちょうどぼくが小学一年生だった時に倒産してくれたためブックオフができたのです。幸運その9。以前同様に両親は何かで駅前に行くたびにぼくをそのブックオフに連れて行って大量の漫画を購入してくれましたし,ぼく自身も小学3年生ぐらいになると一人で立ち読みに行くようになりました。そう,その当時のブックオフは立ち読みを推奨してくれていたのです(今と違って)。幸運その10。

ですが,さすがに漫画ばかりを読んでいると飽きてしまいます。小学4年生になったぼくはとうとう漫画以外に手を出し始めます。はじめは児童書に毛が生えたようなやつを,次第に普通の文庫本へ。ブックオフ荻窪店は比較的大型の店だったため,漫画以外も充実していたのです。幸運その11。

これ以上書くと明らかに長すぎるのでこのへんで切りますが,こんな感じの幸運に支えられて本を読まない両親から本を(平均よりはかなり)読む人間が生まれたのです。ブックオフありがとう。

 

子供の(はじめての)読書体験を上質なものにしたいよねという話

そんなわけでブックオフに支えられてきた僕の読書週間なのですが,ここ数年ブックオフの業績は低迷しています。過去8年で300店舗が閉店したとか。これが時代の流れであることは疑いようがありません。今のこのネット配信でコンテンツがなんでも手に入る時代に漫画中心の古書店というスタイルを継続させようとすることは(ツタヤのようなレンタルビデオ店同様に)はっきり言って絶望的です。

それ自体はもうどうしようもないことと割り切ってはいるのですが,ちょっとだけ危惧しているのがその代替となっているであろうスマホ上の漫画アプリやネット上の記事の品質です。すでに多くの人が言っているテーマのような気はしますが。

かなり強い言葉で言ってしまえば,現代の子供が最初に出会う漫画や(大人が読むことを想定されている)活字というのは,無料配信されているものの確率が高いのではないか,そしてそれらには低質なものが多く,彼らの今後の本や活字との付き合いに悪影響をもたらさないか,ということです。

ぼくも漫画アプリやニュースサイトを利用しますが,ハッキリ言って駄作・駄文に出会うことは少なくありません。ある程度の量の良質なものに出会っていればそれらを切り捨てることは容易ですが,十分な経験がないままにそうしたものに出会ってしまうことは,読書全体をつまらないものと切り捨てることにつながるのではないかと心配しています。

ぼく自身の読書体験は,それがどんなジャンルであれ,早期に上質なものに出会えたことによって開かれたと感じています。もちろん僕の子供時代ですらそうした出会いは幸運の結果だと思いますが,現代の本・漫画・活字に関する流通の構造はそうした偶然の出会いすらひどく難しくしてしまっているのではないかとどうしても思ってしまいます。

もちろん,親がそれをコントロールできる人であれば心配はいりません。でも,そういう家庭ばかりではないはずです。最初にぼくの両親には読書週間がないと書きましたが,それでも両親はともに大卒の薬剤師で,学校教育を受ける機会も社会的地位も決して低くはない方です。それでもそうなってしまっているのです。親として,子供の読書経験を主導できるほど本に親しんでいる人がどれほどいるか,と考えてみるとやや絶望的な気持ちになってしまいます。

 

なんでこんなことを割と強い気持ちで書いてるんだろうな,と不思議になったのでちょっとだけ考えてみたところ,最近Twitterやってたりネット漁ってたりすると決まって出てくる(僕だけかも)「実際はかわいそうな状況下なのにキラキラ女子を装っている人の話を描いたらしい(見てないから知らない)漫画」の広告を見るたびにゲンナリした暗い気分になってしまい不快きわまりないので本当になんとかしてくれ,と感じていることが根底にあるのかなあ,という気がしてきました。それだけ。