夏の作文その4『頭がいい』

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このブログを読んでいる方の多くは積極的に頭のよさで殴り合った経験があるかと思いますし,「頭がいい」と誰かから言われたことも数多くあるかと思いますが,その殴り合った「頭」や評価された「頭」とはいったいどのようなものでしたか。ほとんどの人にとって,評価軸となった「頭」はいつでも同じ意味での「頭」ではなかったと思います。

今回は人生がそのまま頭のよさでの殴り合い歴みたいなとこのあるぼくがさまざまな発達段階での「頭のよさ」をリストアップしていくので,みなさんは自分に合った頭のよさを適切に選択して自分の評価が最も高まるように価値観を形成してみてください。

(余談ですが,似たようなものに「優秀」「立派」「えらい」などの言葉があります)

生まれてから小学校の前半ぐらいまで

基本的にこの時期の頭のよさは「大抵の子供はもっと後に身につけるであろう知識や論理的思考力を身につけていること」です。早くはいはいができたり,ひらがなを覚えたり足し算ができるようになったりすると「頭がいい」わけです。

小学校の後半(・中学校)

このあたりから「頭のよさ」像が(評価する側,される側ともに)人によって分岐してくるように感じます。

従来のいかに早熟か,という軸に加えて,たとえば周囲に比べて落ち着きのある行動をしてはしゃぐ周りを諌めるような子供に対して「頭がいい」と言ってみたり,夏休みの宿題を早めに終わらせるなど,計画性のある子供に対して「頭がいい」と言ってみたり。

個人的にこの時期の「頭のよさ」像は徐々に社会性を身につけて団結しはじめ,また大人に反抗するようにもなってきた子供たちをに対して,学校の教員から見たときにどれほど管理しやすいか,という観点から決められているような気もします。

また,中学校がこちらのカテゴリーに入るべきなのか一つ後のカテゴリーに入るべきなのかは判然としません。都会か田舎か,公立か私立か,男子校女子校か共学か,などいろいろな要素が入り混じっているような気がします。

(中学校・)高校

このあたりから,個人の能力が従来までの「早熟」という「遅かれ早かれほとんどの人がたどり着く領域」を超え始めるので,早熟ということによる頭のよさは徐々に影響力を失っていくように思います。

さて,もちろんこの段階でも大半の人は勉強に苦労しますから,純粋な学力としての「頭のよさ」は評価の対象となります。

また,(これは本当に学校次第だと思いますが)「大人に評価される能力」としての「頭の良さ」が認知され始める時期でもあるように思います。実際には幼児のころから(ほとんどの人が無自覚とは思うものの)こうした能力に差はあるのですが。

あとは「面倒なことを簡単に済ませる能力」とか,「会話中にそれっぽいことを言う能力」とか。

さらに,僕の周りで実際に評価軸として存在していた「頭の良さ」として,「自分の限界を悟り,高望みしないこと」がありました。例としては「頑張れば東大を狙えないわけでもないぐらいの成績だけれど一橋を受ける」とか,「学年で成績が下から10番以内ぐらいのやつがセンターで8割取れさえすれば確実に受かる入試方式を利用して東京にある国立の工学部を狙う」とか。

 

大学

大学生の「頭のよさ」は本当に多岐に渡ります。純粋な勉強内容の理解度や学業成績という意味での「頭がいい」はもちろん存在していますし,もう一つは勉強にサークルにバイト,とマルチタスクを問題にならない範囲で手を抜きながらこなすという意味での「頭がいい」もあります。あとは将来につながることを意図して行動している人はやはり「頭がいい」と言われますね。他にも,喋っていて考えが深い(これも定義されていないような気はしますが)ように思える人について「頭がいい」と言ってみたり(この場合は実は考えていることそのものよりも考えていることを自信たっぷりに言い切ることが重要なファクターなのではないかと思っていますが),あと本当に単純にいわゆる高学歴の人のことを指して「頭がいい」と言うことも多いかもしれません(僕は大学入学後に東大の人が多いコミュニティ以外に属したことがほぼないのでよくわかりませんが)。

 

このあたりで最初に類型として挙げた「優秀」という言葉がいろんな文脈で使われるようになることにも触れておきましょう。

大学教員だったり大学院への進学を志している人だったりは学業成績の良い人を「優秀」と言いますし,サークルやバイト,学生団体における「優秀」は結局のところ,その組織へ強くコミットしている人のことを指しています。また,就活で出会う人の多くは,就活に成功する/した人を指して「優秀」と言っています。僕はほとんど関わっていないのでわかりませんが,例えば体育会の学生の間での「優秀」や,起業を志す学生間での「優秀」はまた違うのでしょう。全てのコミュニティで優秀と評価されている人というのはあまりおらず,評価軸のとり方次第でいくらでも変わってしまうという印象があります。今回テーマとした「頭がいい」はここまでの散らばりはないとは思いますが,それでも意図を明確にしておかないと問題が起きるかもしれません。

 

それ以降

変わるんだとは思うんだけど経験してないからわかんない!

 

野球選手の例

よく野球選手について「野球脳がある」「野球脳がない」と言ったりします。この野球脳とは,たとえば相手投手の配球を読んでみたり,ランナーやアウトカウントの状況に合わせてバッティングを変えてみたり,少しでも先の塁に行くための走塁意識であったり,そういったものを指します。(と思ってるんですけど,実際そんなに詳しくないから間違っていたら教えてください)これが世間一般で言うところの頭のよさとそんなに相関しない,むしろ野球ばかりやっていて一般には頭が悪いと思われているような選手が優れていたりするところが今回のポイントです。逆に,東大や京大出身の投手とかが案外ストレートゴリ押しの脳筋みたいなピッチングしたりしています。これは野球のプレイに求められる頭のよさがその場の判断に代表されるような即時的なものであるのに対して,東大や京大に行き,野球でも結果を残すような人の頭のよさが「勉強やトレーニングなどの長期的な計画を立てて実行する」ためのものであるからだと思われます。

まとめ

ここまで書いてきて感じたことをまとめると以下のようなことになります。文面だけ追ってしまうと相当飛躍してますけど,

 

「頭のよさ」は大別すると「成熟の早さ」「短期的な,その場で理解する・考えるタイプの頭のよさ」「長期的な,全体のバランスを考え,計画を立てて実行できる頭のよさ」の3つがあり,本来分けて考えられるべき。だが,頭のよさは学業成績を介した場合に最も頻繁に語られるという現実があり,しかも学業成績はこの3つが複合的に組み合わさった結果であるためにこの3つの境界は深く鑑みられることのないままに曖昧にされてしまっているのが現状。(成人以後に成熟の早さが問題になることはあまりないと思われるので,残りの)2つについて,自分がどちらに長けていてどちらに劣っているのかを知っておくべき。また,誰にとって「よい」のかについても考えなくてはならない。子供時代の多くのそれは親・教員の評価によるものであるのに対し,成長するに従って同級生などの似た立場の人間からの評価が占める割合が高まってくる。(もしかするとさらに年齢が上がると下からの評価がより重要になるのかもしれない)こうした相手について,自分にとっての優先順位がどうなっているのかを決めておかないと本当に評価されたい相手から評価されないという危険性があるから,こちらについても意識しておくべき。

余談:僕の「頭のよさ」についての自認

たぶん短期的な方はかなり優れている方だと思うんですが,長期的な頭の働かせ方がまるでできないので運良く偏執的に強い気持ちを持てたり周りが定期的に働きかけたりしてくれる状況下でないと大きな成功はできないなあと感じています。誰か助けてほしい。